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腑に落ちるまで焦らない

感覚研鑽で学んでいるグループがある。未知の世界が大好きで、先頭を切って実験研究している先生がいて、好奇心旺盛な仲間もいる。皆感性も表現も豊か。

 

「うわ、なんか起き上がれなくなりました…」

「身体がバラバラな感じになってます」

「手のひらからなんか出てますよ」

 

こんな変な会話が普通。

で、ここからどう学ぶか、について。

 

皆感性も表現も全く違う。。。

その言葉を頭で理解しようにも難しい。

 

まずは、何にしてもひとまず同じように試してみる。

それで分かるか分からないか…。

 

・やっても実感もなく訳の分からないもの。

→分からなくても必要ならまた出てくる、必要ならその内腑に落ちるので、少し置いておく。焦ったり執着しすぎない。その事象の目撃者であることで、一つの可能性を知れたという感じ。頭も体も実感がないと自分からは遠いけれど、何かきっかけがあると思い出して一気に腑に落ち身についたりする。

 

・何となくニュアンスが分かる気がしたもの。何となく体感したもの。

→その自分の感覚を自分の表現で言葉にしてみる。こういう意味ですか、こんな感じで感じたのですがこれですか、と。すると、言葉ではなく感覚のところでの探り合いの会話になっていく感じに。先生はこういう時に相手の感覚がどこにあるのか、を上手に受け取れる先生がいい。言葉に頼れないのが感覚だから。

 

・面白い体感があったもの。

→その感覚をシェアして確認しながら、そのままどっぷりその感覚を覚えようと感じ抜く!という感じ。仲間と研鑽するというのは、皆が同じ思いや方向性を持っていることで、お互いがいることでいい空間を作れることが多い。身につきやすい、伸びやすい。そして家に帰った時、一人でそれができるかが一番重要。しっかり体感していると家で一人でもしっかりできる。

 

そして私の場合、習ったその感覚はそのまま治療に使わないことが多い。無理に今まで慣れ親しんだ形にねじ込むと治療の形が不安定になることもあるから。今までの経験だと、習った感覚は自然に自分の感覚に取り込まれて、いつの間にか今までの形に滲み出るようになる、もしくは治療中にふと使ってしまうというように自然に出番がきている感じ。

 

つまりは、

 

!分からなくても焦らない。実感はできなくてもヒントといい距離でいること。

!自分の感性は誰とも比べられない。自分が信頼してあげて素直に表現してみること。

!場の共有でコツコツその感覚を身に馴染ませていく。

 

ということ。

 

そしてそれは、自分に一番いいタイミングで一番いい形で出てくるようになる。